がんも農場のお店

2017年10月13日金曜日

僕のおじさん。

予報通り、朝から雨。
それもしっかりめに降っている。

2度に渡って稲架かけの稲刈り期間中に
手伝いに来てくれていたお義母さんを乗せて佐久から埼玉へ。
お米の配達と親戚のおじちゃんのお見舞い。

親戚のおじちゃんにはいろいろなことを教わった。
土建屋さんを自営でやっていたおじちゃん。
小学生のころは夏休みや冬休みになるときまって
1‐2週間一人で泊りにいっていた。
同年代のいとこがいるわけでもなく、ただただ
おじちゃんやおばちゃんと遊んだり、自宅では禁止されていた
ファミコンをして自由な時間を過ごさせてもらった。

僕のおじちゃんは、日に焼けていてカラダががっちりしていて、
手がごつごつで、力が強い。朝は夜明けくらい早くに起きて、
テレビを見ていて、仕事に行き、夜はお酒を飲んでなんとなく横になったと思ったら寝ている。
お酒飲むし、たばこも吸う。でも病院には寄り付かない。検診も行ったことがない。

ある夏、おじちゃんちに行ったらエンくんという外国から来たお兄さんがいた。
おじちゃんが雇って、部屋も借りて泊めてあげてる。その日はエンくんも交えて
親戚みんなでご飯を食べたりもした。

大晦日には初詣にも行ったりした。
小学生のころは、ニュースステーションが始まるころには布団に入ってないと家では
叱られていた。でも、おじちゃんの家に行ったら初詣は24時まわったころに行く。
初めての夜更かしにドキドキした。あんまりたくさんの会話をした記憶はないけど、
中学校に入学するとき陸上部に入部することにしたと言ったら、陸上は自分との闘いだな、
ゆうきがんばれ。と言ってくれたことを覚えている。

そうそう。おばあちゃんが亡くなったとき。火葬場でお骨の拾いかたを教えてくれたのも
おじちゃんだ。まだ小学校入ったばっかで、父親は喪主だったからおじちゃんが
いろいろ教えてくれたんだ。

おじちゃんのとこで過ごしていたときは、なんでもかんでも受け入れてくれる。
自由な生き方や考え方のおじちゃん。いまの自分の生活を選択するのに、
実はかなり影響を受けている。初めて、こんな生き方あるんだ!という衝撃を受けたのは
おじちゃんだ。

佐久にも2回、おばちゃんと2人で来てくれた。
きょうはまた佐久に来てくれることを約束してお別れ。
あれから20年経って、もうきっと色が落ちることはないだろう、
黒く日に焼けた、ごつごつした手だったけど、力は僕の方が少しありそうだった。
今度は家族みんなで会えるといいな。

がん!がん!がん!

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